“What's Art?” by Yoshio Eda

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“What's Art?” by Yoshio Eda

叔父さんが油絵をやっていた関係で、幼少時から絵本代わりに西洋美術図鑑を見ていた江田さん。絵画教室には数年通ったが、画才がないと諦めたものの、棚いっぱいの美術図鑑にある中から、ひとりだけ強い印象を受けた芸術家がいた。それは、もう一人のミケランジェロとも呼ばれるイタリアの画家。力強い作品が素晴らしかったが、江田さんにはその生き様がさらに印象的だった。

“What's Art?” by Yoshio Eda

それはミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)。「ホロフェルネスの首を斬るユディト」や「ナルキッソス」などの作品でも知られるが、粗暴にして悪名高く、38歳で亡くなる前年には殺人者となる。作品の評価は高く、注文も多かったカラヴァッジョはお金に困ったことはないが、自宅で暴れて拘禁されたり、乱闘騒ぎなど何度も起こしている。

“What's Art?” by Yoshio Eda

にもかかわらず、彼の作品に見られる肉体面、精神面ともに人間本来の姿を写実的に描く手法と、光と影の印象的に表現はバロック絵画の形成に大きな影響を与えた。強烈な明暗を使い、演劇の一場面のような絵画は「テネブリズム」とも呼ばれた。そして、現在になって再び、カラヴァッジョの作品を見た江田さんは自分が好む表現が彼のものと似ていることに気づいたという。

“What's Art?” by Yoshio Eda

「アートとは何か?」について整理しようと、周囲の人々に聞いてみると、共感できるもの、見ていて気持ちのいいもの、継続的に価値が見出せるもの、自己表現の結果などの答えが返ってきた。どれも間違っていないと思うが、自分はアートに挑戦することで何を得たいのか熟考すると、「コンセプトを用いて、後世の人々の感情を揺さぶりたい」という想いだった。

“What's Art?” by Yoshio Eda

そして、江田さんは自分のアートには江田家一族の歴史と自分自身の想いも込めたいと思った。それには、1857年に日本人が初めて撮った写真が、薩摩藩の毒見役をしていた祖先の手になるものだったということが関係している。

“What's Art?” by Yoshio Eda

現在は父親も写真業を営んでおり、自分も写真をやっているが、この1枚以外に一族で歴史に何も残せていない。いま、写真で何かできないか。私の手でなんとか後世に残るような写真を撮ってみたいと志した。

“What's Art?” by Yoshio Eda

では、果して、写真はアートになり得るのだろうか。もし、写真が単なる産業であれば、すでに終わっているはずである。産業の寿命は120年ともいわれているからである。また、欧米ではPhotographic Artの市場もすでに存在している。これらのことから、写真はアートになり得るし、後世に残せるものであるといえる。

“What's Art?” by Yoshio Eda

アーティストとは何かという側面から考えると、クリエーターと違い、アーティストは自分の作品の全責任を負う。そして、前述したように江田さんにとってのアートとは「コンセプトを用いて、後世の人々の感情を揺さぶりたい」ということだ。現在はまだコンセプトが固まらず、アーティストにはなっていないが、アーティストを目指す志は持ち続けていこうと思う。