“What's Art?” by Motoko Sato

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“What's Art?” by Motoko Sato

アートという言葉には現代アートという意味合いを感じるという佐藤さん。芸術という言葉のほうが馴染んでいるという佐藤さんは、さまざまな時代における自分の好きな芸術作品を紹介してくれた。大好きなのは3万5千年前に描かれたショーヴェ洞窟の壁画。まだ文字を持たない彼らの絵には祈りがあり、美しいフォルムや躍動感を描いたときの快感が感じられる。洞窟社会で認められた共有の絵画である。

“What's Art?” by Motoko Sato

学生のときに好きになったのはアメリカンリアリズムの巨匠といわれるアンドリュー・ワイエス。彼の「平凡なことがいい。だが、それを見つけるのは容易なことではない。平凡なものに信頼を置き、それを愛したら、その平凡なものが普遍性を持ってくる」という言葉にはアートとしての視点があると感じた。このころ私は女子美術大学の附属に通い、彫刻家の先生に絵を習っていたが、注文で絵を描いたり教えている父に「お父さんの絵は芸術じゃないわよ」と言ってしまった。父は何も言わなかったが悔やまれる出来事として刻まれた。

“What's Art?” by Motoko Sato

現在は誰もがアーティストだと名乗れる時代。しかし、問題はその質だ。アートであれ、プロダクトであれ、質の悪いものには誰も見向きもしない。人間のつくったものはジャンルやカテゴリーに関わらず、すべてアートとなる可能性がある。アートであるかプロダクトであるかよりも、そこに精神性を感じられるかどうか。また、作り手側の能力だけでなく、受け取る側の能力も関係する。表現と時代は無関係ではない。では、誰がアートであるか決めるのか?

“What's Art?” by Motoko Sato

着衣のマハや裸のマハで有名な宮廷画家ゴヤは少しも興味ある画家ではなかった。それが変わったのはプラド美術館の黒い絵の部屋を見たとき。そこにある14枚の絵はゴヤが晩年を暮らした別荘のサロンや食堂に描かれたもので、売るために描いたものではない。恐ろしい絵もあったが、どうしようもなく心打たれ、ゴヤは私にとって忘れられない画家となった。82歳の生涯を終える数年前に残した彼の言葉「それでも俺は学ぶぞ!」にも惹かれた。

“What's Art?” by Motoko Sato

大学で美術教育法を学んだ私には、生きることについて語るとき美術という表現を使うことが一番伝えやすい。そのため毎年、「ふたりのパブロ」という授業を6年生に行っている。ピカソの「ゲルニカ」を何も言わずに見せて感じたことを書いてもらい、その後で歴史上の事実を聞かせ、もう一度感じたことを書かせる。最後にカザルスの「鳥の歌」を聴かせ、彼の母親の言葉「私は法律を重んじません。法律は人のためになるものもあれば、人のためにならないものもあるから。だから、私は法律よりも自分の良心を重んじます」を読む。その言葉を胸に生きたカザルスはヒトラーの部下が演奏を所望していると迎えに来るが、彼はそれを断り亡命する。そして、各国での演奏会で「鳥の歌」を演奏し、「スペインには未だに平和が訪れない。鳥達がピース、ピースと鳴いている」と語ったことを話すのだ。

“What's Art?” by Motoko Sato

これまで30ヶ国を旅してきたおかげで気づいたことがある。帰国すると山に登ることが多い私は標高3,000mの山から海が見渡せる日本はすごい国だと感じる。日本人は海と山の間で生かされてきたのだなとつくづく思う。もう1つは手触りに対する感覚の鋭さだ。日本人は手で食器を持つからか、色や形だけでなく、その重さや手触りまでも楽しむ。畳の暮らしや白木の素材。敷居をすべる障子や襖。繊細な手漉き和紙や織物の技術など、手触り感までも重視するところが日本人らしい。そして、間の取り方の美しさ。日本画家の杉本洋氏や円山応挙の作品など、こういう間の取り方は日本人だからこそだと思う。

“What's Art?” by Motoko Sato

「nature and art(自然と人工)」というとき、アートは人工に当たる。artの語源となるラテン語arsには「技術」という意味もある。自然に対する技術がアートということだ。シヴァ神にはいろいろな側面があるが、芸術の神であり、創造と破壊の神でもある。
考えてみると、創造と破壊は同時に行われている。では、創造と破壊の違いは何か? 私はそこに願いがあるかどうかだと思う。
最後に、私の一番好きな作家を紹介したい。それはアルベルト・ジャコメッティである。彼はシュールレアリズムの彫刻家として知られている。彼の展覧会で見た「立つ女」はその空間と存在に圧倒された。

“What's Art?” by Motoko Sato

歌を歌ったり、絵を描いたりすることはつまり願うことだ。自分自身の表現であり、生きる願いの表現である。だが、願いは伝えられる形にしなければ相手に届かない。視覚的にいえば、見えないものに形を与える。人が創造的な活動をすること自体と、その結果としての作品がアートなのだろう。その活動の楽しさは生きる喜びそのものだともいえる。
この子ども達の作品もアートだろう。吉田繁先生の写真集『神宿る樹』の作品を鑑賞し、大地から大量の水を静かに吸い上げている樹の話をしてから描いてもらった。すべての人にとって、アートは特別なことではない。アートとは生きていくことそのもの。自分の願いを自分自身と相手に表現しようとすること。私は何を破壊して何を創造しようとしているのか。アートを通じて自分に、そして相手に問い続けたいと思う。