“What's Art?” by Koji Murata

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“What's Art?” by Koji Murata

村田光司さんは「自分にとってアートとは何か」を考えるにあたり、まずはアーティストとはどんな人であるのかを考えた。芸術の分野において「新たな価値」を創造する人であり、その作品が第三者に、世界観や価値観といった「豊かさ」をもたらすものであると定義づけた。

“What's Art?” by Koji Murata

記録の手段として発達してきた「写真」は目の前に実在するものを写す。そのため撮影したいものだけでなく、表現したくない不要なものも写ってしまう。しかし、絵画や彫刻といった「アート」は、表現したいものだけをストレートに表現し、表現したくないものは表現しない。この二律背反をどうやって両立させるかが課題だと考える村田さんの目標は、写真で幻想的な世界を表現すること。そこに自分の哲学を入れ込むことだという。

“What's Art?” by Koji Murata

アート写真の潮流を紐解くと、日本では資生堂の初代社長・福原信三が『セーヌ河』という作品を発表したのをはじめ、ビクトリアリズムの作家が多く活躍。過剰な細部を省略するとともに、表現したいモチーフや感情を表そうとした。しかし、「絵画を模倣したもの」だと厳しく批判され、新たな潮流をつくれずに失敗に終わる。
村田さんは「絵画」と「写真」の境界や区別はそもそも必要なのかと考える。

“What's Art?” by Koji Murata

写真のデジタル化が進む昨今、それは写真のアート化に再挑戦するチャンスだと村田さんは捉える。欧米ではすでにアート写真市場が確立されているし、デジタル化によって、表現したいものだけを表現する技術も生まれてきたからである。ただし、そこには完成度の高さや思想性、哲学が貫かれている必要があるが……。

“What's Art?” by Koji Murata

写真のデジタル化はまた、新たな技法を生み出すことにもなる。西洋絵画の世界では印象派がそれに当たり、日本画では朦朧体の菱田春草や横山大観が該当する。新たな技法には批判が集中するが、結果的にアートはそれにより大きく花開いた。技法というのは本来、二の次かもしれないが、ともかく写真の新しい技法を何かひとつ打ち立てたい。

“What's Art?” by Koji Murata

アート写真についてさまざまな模索をする中で『現代美術(モダン・アート)とは何かー難解な理由と見方』(日本美学研究所)を目にする。それによると、私たち日本人がアート界で勝ち上がるためには、左の1と2、3が必要になる。1と2はもちろん学べばいい。そして、3は私たちにとっては有利なポイント。日本文化は異質なので、ほかとの差別化がしやすい。日本文化をどうアレンジし、説明するかがポイントになる。

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村田さんがつねづね心の支えとしているのは、京都の庭師である北山安夫氏の言葉。徹底して無駄を削ぎ落とした簡素な庭は京都の多くの寺社だけでなく、海外でも評価が高い。「10人に聞いてひとりだけ賛成するなら大いにやったほうがいい。6、7人が賛成したらそれはすでに過去のものだ」。「批判されないものはつくらないほうがいい。批判されてもいいから、自分のものをつくるべきだ」。

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そして、村田さんがもっとも影響を受けているアーティストは川瀬巴水氏。スティーブ・ジョブズが一目惚れした版画家でもある。独特の構図や日本のなにげない風景を捉えていることで有名であり、作品の中に点景として人物を登場させることで見るものを魅了する。最後の浮世絵師とも呼ばれる彼は海外でもとても有名な存在だ。

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驚かされるのは同じ版木を使って違う時間帯を表現していること。この自由な発想にも惹かれた。こんなことができるのは輪郭線というものがあるからだろう。写真ではそうはいかないが、この発想を活かせないか。写真だって色を自由に替えてもいいし、輪郭線があってもいいかもしれない。これらを自分の表現の引き出しとして使いたいと思っている。