“What's Art?” by Miwa Nomura

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“What's Art?” by Miwa Nomura

自分にとって「アートとは何か」と考えるにあたり、美術を学んだ野村さんはまず、美術史からの考察を行なった。さらに、自分自身のことを振り返って考えた。すると、アートとは「不随意筋」のようなものであるという結論に至ったという。不随意筋とは心臓や内臓にある筋肉で、不随意とは意志通りにならないことを指す。
野村さんにとって、自分の思い通りにいかないもの、それがアートであるようだ。

“What's Art?” by Miwa Nomura

かつて、アートには一定の役割があった。
最初はピラミッドのように呪術的な目的を持つものや自然の脅威から身を守るためだった。また、アルブレヒト・デューラーのように聖書の場面を目に見えるとおりに描くためでもあった。ベラスケスの時代には肖像画によって権力者の力を見せつけるためでもあったようだ。
18世紀になると、フラゴナールの『ぶらんこ』やレノルズ卿の『ボウルズ嬢と犬』のように、アカデミーやサロンで認められるために描かれるものが多かった。

“What's Art?” by Miwa Nomura

西洋美術の多くの制約や決まりごとがあり、依頼主の要望にも応えなければならなかった。主題の多くは宗教的主題で、聖書の物語や聖者伝説、ギリシャ神話などだった。しかし、フランス革命以降、何でも絵にして構わない風潮が生まれる。伝統の解体は、産業革命後さらに進み、19世紀という時代は、美術史上初めて、美術が真の意味で個を表現する手段となった。
そんななかで、すでに16世紀にレンブラントは自分の表現を追求していた。それは『夜警』という作品で、火縄銃手組合から18人が平等に際立っている集団肖像画を依頼されたが、全身が描かれた者は3人で目だけしか描かれなかった人物もいた。レンブラントは何度かクレームを受けたが、それを頑固に拒否した。なぜ、彼は地位や生活の安定を捨ててまで、表現を続けたのか……。

“What's Art?” by Miwa Nomura

さらに、誰のためでもない作品だけでなく、誰にも見せないのに描き続けた画家がいる。3歳、15歳で両親と死別。施設にいた彼は16歳のときに脱走し、その後病院の掃除夫として働く。60年にわたり創作し続けた物語とその挿絵(15,000ページ以上、300点に及ぶ絵は2mを超える大判もある)は、彼がいなくなった後、部屋の大家で芸術家のネイサン・ラーナーに発見されるまで、誰にも知られることはなかった。ダーガー本人から、部屋に残った荷物の焼却処理を任されたラーナーは、彼の作品の価値を理解し、挿絵の約100枚を画商や愛好家に売却、残りをMOMAに寄贈。ダーガーの作品は世に知られることとなる。
誰にも知られるはずのなかった作品を、彼はなぜつくり続けたのか……。

“What's Art?” by Miwa Nomura

自分自身を振り返ると、絵を描き始めたのは2~3歳のころ、姉の真似事から始まった。真っ白な紙が、自分の世界で埋まってゆくのは楽しかった。そして、描いたあとに残る絵は、描いているその瞬間を自分が生きていた「証拠」として認識でき、心が落ち着いた。
だが、大学進学時には、将来のことを考えて服飾の道へ進む。初めて絵を描かない時間を過ごしたが、絵を描かない自分は自分でないような息苦しさがあり、このままではとても生きていけないと感じた。このころに、絵で食べていける人になりたいと強く思う。
そんな紆余曲折を経て、2013年に写真に興味を持つ。それは画面に油絵具を流しながら偶然できた形を利用し絵を描く実験をしていたときで、「流れる」とはそもそも何か、流体力学等の本を調べていた。
そのときにスーザン・ダージェスというイギリスの写真家を知る。

“What's Art?” by Miwa Nomura

スーザン・ダージェスの技法は、硝子板にはさんだ巨大な印画紙を夜間に川に沈め、一瞬だけフラッシュを焚いてつくられる。その作品は幻想的で、独特な手法に驚かされるとともに憧れを抱いた。写真のことは何も知らなかったが、写真で作品を作ってみたいと思うようになった。
絵で食べていきたいと思っても、売れるような作品ができるのか、そんな葛藤のなかで何度も絵をやめようと思っても結局、やめることはできない。
誰にも認められなくても、ヘンリー・ダーガーのようにただただ自分のために描き続けた画家もいる。まだ、私は何も持たない小さな挑戦者に過ぎないが、創作せずにはいられない。
それならば、写真という表現で創作をしていこう。私にとって、創作は子どものころから心臓のように止まらないもので、私の思い通りにならない不随意筋のようなものだからだ。

“What's Art?” by Miwa Nomura

村上隆氏は著書の中で、「ぼくは、自分のことを“道化”であり、猿回しの猿だと思っています。キキーッ、キキーッと鳴いて、地面に手をつきながらクルクルと回っているのです。いくら世界で名前が売れてもそれは変わらず、道化を演じ続けることが仕事なのです。自分は道化になって、社会の皆さんに喜んでいただけることをやるのが芸術家です」といっている。成功者である彼が猿回しの猿なんて、そんな悲しいことをいうのに驚かされた。
また、ジェフ・クーンズの『Landscape(Tree)II』はアートマーケットでその価値を認められているが、製作の背景を知らずにこの作品を理解し、味わえる人はどのくらいいるのかと思う。
「アートのためのアート」といいたくなるような難解な作品が氾濫しているように感じられる。

“What's Art?” by Miwa Nomura

その一方で、ジェイソン・デカイレス・テイラーのような作品もある。地元の人々を型取り、海中でも影響しない素材を使ってつくられた海底水族館で、作品にサンゴの個体させ、ハリケーンで被害にあったサンゴ礁を復活させる役割も果たしている。彼の作品を見たときに、私の目標は決まった。
そして、SAMURAI FOTOのメンバーや吉田繁先生のお話を聞いて、いままでバラバラにあった知識や経験がひとつにまとまった気がする。
作品を売るためには、アートマーケットで求められていることを理解し、表現することが必要である。私はそれに加えて、アートを意識せずに生活を送る人々にも何らかの働きかけができる、一般の人々に寄り添える作品をつくりたい。